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【「七つの大罪」に八つ目があることを知っていますか?】

  

  

~《 戦後71年。これからの時代に「   」は要らない。 》~

  
この空白に入る言葉が何なのか、記事の最後には分かります。
   
  
  
  
  
  
  
突然ですが、あなたは七つの大罪八つ目があることを知っていますか?
  
  
  
「暴食」「色欲」「強欲」「憤怒」「怠惰」「傲慢」「嫉妬」
  
  
  
これらが七つの大罪と呼ばれているものです。
  
  
その「七つの大罪」に、実は八つ目の大罪があるんです。
  
  
考えてみてください。
あなたは何だと思いますか?
  
  
 
 

七つの大罪」に続く『八つ目の大罪』 

  
 
 
  
良いように見せたい「虚栄」?
1人ですべてを奪い取る「独占」?
71年前に起きてしまった「戦争」?
   
   
いったい、八つ目の大罪とは何なのでしょうか。 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
答えは『正義』です。
七つの大罪に続く、八つ目の大罪は何と『正義』なんです。
  
 
  
なぜ『正義』が8つ目の大罪なのでしょうか?
  
  
  
  
 
 

そもそも『正義』とは?

  
  
そもそも『正義』とは何でしょう?
  
  
 
 
 
例えば、有名な「桃太郎」の話をしましょう。
 
 
桃から生まれた桃太郎は、街で悪さをする鬼たちを退治しにいきます。
  
桃太郎は、悪さをする鬼たちを退治して皆から感謝されるという物語。
  
  
ここでは「桃太郎」=『正義』ですよね。
街で悪さをする鬼たちを退治したんですから。みんなからも感謝されます。
 
  
  
  
ところが、次の画像を見てください。
 
  
  
 

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どうでしょうか?
  
「桃太郎」は、間違いなく『正義』です。
街で悪さをする鬼たちを退治したんですから。
 
 
でも、ここでいう『正義』は”村人たちにとっての”正義です。
 
 
 
鬼の子供たちの眼には、桃太郎はどう映るんでしょうか?
  
親を殺した「悪党」以外の何物でもありません。
  
  
この鬼の子供たちが、どんな感情を持つか、どんな眼で桃太郎を見るかは説明しなくても分かりますね。
  
  
   
  
 
 

「正義」VS「悪」ではなく「正義」VS「正義」

  
  
  
『正義』について、尾田栄一郎さんが描く、
かの大人気マンガ『ワンピース』ではこんな風に描かれています。
  
  
  
 

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『正義は勝つんじゃない、勝者だけが正義だ』
  
  
  
  
僕たちは、勘違いしていました。
  
  
「正義」「悪」が戦って、正義が勝つんじゃないんです。
「正義」「正義」が戦って、”勝った方が正義”なんです。
  
  
  
もっと言えば、
僕たちが「悪」だと思い込んでいたものは『誰かの正義』だったんです。
  
  
   
人それぞれで「正義」が違って当たり前です。
みんなそれぞれ「立場」があって「守るべきモノ」があるんですから。
  
僕たちは、「悪」と戦っていたんじゃなく「誰かの正義」と戦っていたんです。
 
  
  
  
  
 
なぜ『正義』が「七つの大罪」の八つ目なのか、もう分かりますね。
  
  
「正義」とは、誰かにとっての悪であり、
自分を「正義」だと信じて疑わない人間は、どんな人間よりも思いきりの良い悪行を成し遂げる。
  
   
”それ”の一番身近で大きな例が『戦争』ではないでしょうか。
 
 
  
  
  
  

これからの時代に『   』は要らない。

  
  
  
今日、8月15日は終戦記念日
71年前の今日、戦争が終わりました。
 
  
  
たくさんの悲しみを産み出した戦争。
  
沖縄、知覧、広島、長崎を経て、
去年のこの日に上げた記事も、約5万人の方が読んでくれました。
 
 
 
この戦争で忘れてはならないのは、
戦争である以上、僕たちも誰かの命を奪っているということ。
 
大切な家族がいる、誰かの命を、です。
 
 
大切な家族を奪われた遺族たちはどう思うでしょう。
 
「復讐してやる」
 
そう思っても不思議じゃありません。
 
 
そして”それ”は、その人たちからすれば『正義』となりえます。
 
 
 
もしかしたらこの戦争は、当時「正義」だったかもしれない。
「正義」と「正義」がぶつかった戦争だったのかもしれない。
 
 
 
 
でも、『正義』だからといって人を殺めてもいい理由はひとつも無いんです。
 
 
 
ただ、僕たちは『正義』という名の下に行動を起こしてしまう。
『正しさ』という偏見を武器に、誰かを傷つけてしまう。
 
 
だからこそ、今この時代に生きる皆んなが気付く必要があるのです。
 
 
 
 
『もう「正義」は要らないんだ』、と。
 
 
 
 
  

これからの時代に『正義』は要らない。

  

 

「正義」がもう要らないんだとしたら、これからの時代には何が必要なのでしょうか。

  

それはもう皆さん自身が、答えを知っています。

  

  

  

大切な人と喧嘩をしたとき、どうやって仲直りしますか?

  

  

相手の考えていることを聴き、

相手の想っていることを聴き、

自分の考えや、想いをちゃんと伝え合うこと。

  

  

ひとえに『対話』することです。

  

  

  

僕たちは対話してこなかったんです。

相手の立場を分かろうとしてこなかったんです。

  

だからこそ、お互いの正しさを「正義」としてぶつけあってきた。

  

  

  

『対話』『調和』『相手を想うおもいやり』

  

これからの時代に必要なのは、

大切な家族を想うように、目の前の人を想う、そんな”愛”のエネルギーです。

  

  

  

  

最後に

 

 

今日で戦後71年。今生きている僕たちの世代が、戦争体験者の方の話が聴ける最後の世代だと言われています。

  

僕たちには「知る権利」と「生きる責任」がある。
  
  
  
戦争の無い平和な世界を皆んなが望んでいるのなら、必ずその世界は創れます。
  
ひとりひとりが「愛」からのアクションを起こしていくとき。
  
  
  
これからは「1人の百歩」ではなく『100人の一歩』の時代。
  
  
戦争の無い平和な世界を創るために、
そして戦争で亡くなった方々のために、
今あなたができること。
  
  
ぜひこの文章をシェアして伝えていってください。
  
  
  
  
戦争で亡くなったすべての方に、祈りを込めて。
  
  
  
  
  
  
  
 

『 これからの時代に、「正義」は要らない。 』

 
 
 
 

《自分のことで悩んでいる人は皆、被災地に来たらいい。》

 

熊本・阿蘇でボランティアを始めて約100日。
先日、本震も経験した長期メンバーが1人帰りました。
 
この「100日」という単位は、被災者の方にとっても本当に重みのある数字ですが、
僕たちボランティアにとっても、大きな重みを持つ数字でした。
 
 
 
拠点をお貸しいただいて、日々何十人もの共同生活。
そのうち半分が短期間で入れ替わり、10人ほどの長期のメンバーは約100日間共同生活でした。
 
 
 
朝は8時に起きて、みんなで掃除。
そのあとにボランティアの現場へ。
ご飯はみんなで手分けして作って、
夜は語り合ったりミーティングをしたり。
そして10畳くらいの部屋に、10人くらいが寝袋や銀マットを敷いて寝る。
 
 
そしてまた朝の作業へ。その繰り返し。
 
 
 
日々変わる人たちとの共同生活。
そして何よりもココが「被災地」という現状。
 
今でこそ無いですが、最初は余震も毎日くるくらいでした。
 
  
 
 
被災地で、被災者の人に触れ、様々な背景を知っていく。
 
 
 
田植えができなくなった人。
家が全壊して無くなってしまった人。
人が来ないから従業員を解雇しなければいけない人。
 
 
様々な背景を知り、それぞれが考える。
 
 
 
何が正しいのか、
何が1番良いのか、
何が本当の支援なのか、
 
  
 
全員が善意で動くからこそ、それぞれの正義がぶつかることもありました。
   
 
  
そんなボランティア同士だからこそ、生まれる絆。
それは下の写真が物語っています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
僕の好きな作家さんの小説で、こんなやりとりがあります。
 
 
 
 
 
  
 
『あんなにたくさんの人間がいて、人間のことで悩んでいる人間は、たぶん1人もいない。』
 
 
「馬鹿じゃねえの。みんな悩みばっかだって。」
 
 
『自分のことで悩んでいるだけだ。人間のことで悩んではいない。』
 

 

 
 
  
 
 
 
 
良い大人が自分の仕事を止めてまで、ボランティアにくる。
良い大人が自分のせっかくの休日を返上してまで、ボランティアにくる。
 
 
仕事を続けていたら、その分お金が入っていろんなことができるはずなのに。
休日にしていたら、ゆっくり休んだり、好きなことができるはずなのに。
  
 
  
ここ熊本では、自分のことを放り投げて、ただただ目の前の被災者のために動く人がいます。
もしかすると、自分のことを考える余裕がないだけなのかもしれない。
   
 
    
 

「人の為と言いつつ、自分のためにやってるただの偽善じゃん。」

    
 
   
 
ボランティアや誰かの為に動くことが、
やれ偽善だの、やれ自分のためだの、ココにはそんな議論すら介入する余地もない。
 
 
ココに在るのは、
”目の前の人の役に立っている”という事実と、「有難う」という言葉だけ。
 
 
 
 
 
自分のことなんかで悩む暇がないくらい、
被災者のため、被災地のため、熊本のため、
 
ただ目の前の人の為に、自分が、皆んなが悩む。
 
 
 
 
 
 
『自分のことで悩んでいる人は、みんな被災地に来たらいい。』
 
 
 
 
 
 

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『幸せとは、泥をすすること。』

 

 

 

よくある質問。

 

 

 

『 ◯◯さんにとって、”幸せ”ってなんですか? 』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よくある自己啓発

 

 

 

”幸せ”に生きるための◯つの方法。 』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よくある名言。

 

 

 

”幸せ”とは、「  」だ。 』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

くそくらえ。

 

 

 

「自分の幸せを、他人に預けてどうする。

「自分の幸せを、他人に決めさせてどうする。

「自分の幸せを、他人に判断させてどうする。

 

 

 

 

 

 

”あなた”が、この世でたったひとりしかいないように

”あなた”と姿形や性格,人間関係がすべて同じだという人間がこの世にいないように

”あなたの幸せ”も、この世の中の誰1人として同じではない。

 

 

 

 

”あなたの幸せ””僕の幸せ”は違う。

”あなたの幸せ””あなたのお父さんお母さんの幸せ”も違う。

 

 

 

 

あなたが”それ”に幸せを感じるのなら、

他の誰が何と言おうと関係ない。

 

あなたが幸せだと思うなら

「靴を舐めること」だって、

「泥をすすること」だって、幸せになる。

 

 

 

 

 

他人のモノサシで生きないで欲しい。

”あなたの幸せ”は、あなたにしか分からない。

あなたの”心”が、なんて言っているのか。

 

 

 

 

 

「俺はこうだから」

「私は女の子やから」

「この仕事をしているから」

「もう家庭を持っているから」

「お父さんお母さんがこうやから」

 

「”幸せ”って◯◯だから」

 

 

そんなんじゃなくて。

 

 

 

 

「これが幸せ!」

「私はこの瞬間が幸せ!」

「こんな風で在りたい!」

「もっともっと幸せになりたい!」

 

 

あなたの”心”が何て言っているのか。

 

 

 

 

 

 

”他人の幸せ”

”幸せに生きるための方法”などの本、

”幸せ=◯◯”なんていう定義は

 

 

”あなたの幸せ”そのものじゃなく、

”あなたの幸せ”へのヒント

 

 

 

 

 

 

 

まずは”あなた”幸せになること。

 

 

自分で自分のことを大事に出来ていますか?

 

花に水をあげるように

犬にご飯をあげるように

大切な誰かを大切にするように、

 

自分を大事に出来ていますか?

 

 

 

「あなたが幸せになる」ことが、

”あなたのことを大事に想ってくれている人の幸せだということ。

 

 

 

お父さんお母さんに幸せになってほしいから、

お父さんお母さんの幸せに合わせなくてもいい。

 

大切な誰かに幸せになってほしいから、

大切な誰かの幸せに合わせなくてもいい。

 

 

 

”あなたの幸せ”は、あなたが決めていい。

 

 

 

 

 

 

 

 

”あなたの幸せ”って?

 

 

『すべての答えは、あなたの中に在る。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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