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《終戦70年目を迎えて》


 

 
2015年8月15日、
 
本日で終戦70年目を迎えます。
 
 
70年前の今日、
 
戦争が終わりました。
 
 
 
たくさんの死者を出し、
 
悲しみしか遺さなかった戦争が。
 
 
 
僕自身、20年生きてきてまったくの無知でしたが
 
6月には沖縄の平和式典にも参列させていただいたり
 
先日は、特攻隊が飛び立った《知覧》にも赴き、
 
広島へは平和式典の前日に入らせていただき、「平和の火(原爆の残り火)」を灯し、黙祷させていただきました。
 
 
 
 
中でも忘れられないのが
 
沖縄で出逢った、戦争を実際に経験したおじいおばあたちの話。
 
 
 
沖縄で平和式典の前に
 
戦争を経験されたおじいおばあたちの話を聞きに、あるデイサービス施設へと向かいました。
 
 
そこで、たまたま僕の目の前に座ったおばあが話してくれたこと。
 
 
 
「私はね、日本じゃなくてサイパンにいるときに戦争にあったの。
 
 私以外の家族、親戚はみーんな目の前で殺されたよ。」
 
 

 
話しているうちに自然と溢れてくる涙をいっさい拭うこともせず
 
 
 
最後に、僕の手を両手で力強くも優しく包みながら
 
 
「戦争は二度と起こしちゃダメだよ。
 
 あなたみたいな若い人たちがこれから繋いでいってね。お願いね。」
 

 
と言ってくれた。
 
 
  
 
もう一人、平和式典の少し前に記念公園で道を尋ねてきたおばあちゃん。
 
 
平和の礎の場所を聞かれたので、案内させていただいてそのまま手を合わさせていただきました。
 
 
毎年、この日にはお父さんへ逢いに行くという彼女は
 
礎につくまでにお父さんの昔話や写真を見せてくださいました。
 
 
 
礎で、お父さんの名前が刻まれた場所につくと
 
 
「ターリー(お父さん)、今日はね、お友達ができたの。道に迷ってたら、この方たちが案内してくれてね、、、」
 
 
と、まるで目の前にお父さんがいるかのように、話し始めました。
 
 
 
 
 
「ターリーが好きなタバコも持ってきましたよ。お弁当もね、幕内弁当を買ってきたからたくさん食べてね」
 
 
 
「銃で足を撃たれて歩けない私を、ターリーがおぶってガマ(防空壕)の下まで連れて行ってくれたから、今私は元気に生きれてますよ。有難うね。」
 
 
 
 
 
涙が止まらなかった。
あのときのことを思い出し、文を書いている今も涙が溢れてくるほどに。
 
 
 
 
 
 
なぜこの人たちは大切な人を失わなければいけなかったのか?
 
なぜ愛する人を目の前で奪われなければいけなかったのか?
  
 
 
 
戦争だったから?
憲法では許されていたから?
そのときの時代の流れとして仕方なかったから?
 
 
 
 
じゃあ今同じことが起きたときに、
あなたの大切な人が、愛する人が奪われたときに
 
「戦争なんだから仕方ない」
 
で納得することができますか?
 
 
 
そして忘れてはならないのは、戦争である以上
僕たち日本も人を殺しているということ。誰かの大切な人を奪っているということ。
 
 
 
 
日本人だから殺しちゃダメ、
憲法に違反するから戦争しちゃダメ、
 
その通りですが、大切なモノはその先にあるんだと思うんです。
 
 
じゃあ外国人だったらいいの?
憲法が違反していなかったらいいの?
 
 
そういう問題じゃない。
 
 
 
憲法で違反だから戦争したらダメ
 
そうじゃない。
 
人が人を殺める行為、命を奪い去ることは「当たり前」として、してはいけないことだよねって
 
 
 
憲法や政治の問題じゃない
 
 
 
今問われているのは、僕たち一人ひとりの『精神性』です。
 
 
 
 
 
 
 
知覧から飛び立った、特攻隊の方が最期に整備兵に語った言葉があります。
 
 
 
 
 もう戦争は続けるべきではない
 
 しかし敵を追い落とすことができば
 
 七分三分の講和ができるだろう
 
 アメリカを本土に迎えた場合 恐ろしい国である
 
 
 歴史に見るインディアンやハワイ民族のように
 闘魂のあるものは次々各個撃破され
 
 日本民族の再興の機会は永久に失われてしまうだろう
 
 
 このためにも特攻を行ってでも
 フィリピンを最後の戦場にしなければならない
 
 しかし、これは九分九里成功の見込みはない
 
 
 では なぜ見込みもないのにこのように強行するのか
 
 ここに信じてよいことがある
 
 日本民族が将に滅びんとするときにあたって
 身を持って これを 防いだ若者たちがいたという歴史の残る限り
 
 五百年後 千年後 の 世に 必ずや
 
 日本民族は再興するであろう
 
 
 
 大空に雲は行き雲は流れり
 
 すべての人よ あとは 頼む
 
 征って 参ります
 
 
 人は一度は死するもの 微笑んでいきます
 
 出撃の日も 永遠に
 
 
 イッテマイリマス
 
 ノチノ ニホンニ エイコウアレ 』
 
 
 
 

 
九分九里成功の見込みはないと分かっていながら
日本は戦争に負けると分かっていながら
 
命懸けで日本を守ったという歴史が残る限り、
 
必ず日本は再興すると
 
後世に生きる僕たちを信じ、
 
当時18歳前後だったその命を賭して、日本を守った若者たちがいる。
 
 
 
 
 
もう一度言います。
 
今問われているのは、僕たち一人ひとりの「精神性」です。
 
 
 
今こそ、一人ひとりの市民が立ち上がるとき。
一人ひとりが「愛」からのアクションを起こすとき。
 
 
 
「でも私一人に何ができるんだろう・・・」
 
 
一人ででも出来るんです。
ほんの小さな簡単なことで大丈夫なんです。
 
それこそ、あなたが幸せになるだけでいいんです。
 
あなたが幸せになれば、世界の70億分の1が幸せに、平和になるということ。
 
それでいいんです。
 
 
 
 
僕たち一人ひとりに出来ることは小さくても
たとえ1粒の水滴のようなことでも
 
 
その1粒の水滴が水面に「波紋」をつくり、
その波紋が重なり合って「波」が生まれます。ムーブメントが生まれます。
 
 
 
 
そして、「反対」「賛成」と反発のエネルギーが生まれるやり方ではなく、
 
宗教や国籍など関係のない「人間」のど真ん中からくる『愛』からのアクションが
 
すべてを優しく包み込むような『愛』をベースにしたやり方が必ずあると僕は信じています。
 
 
 
 
 
 
僕もまだまだ勉強中です。
 
DAIさんや瀬川映太さんをはじめ、
先日お世話になった 田中 優さんやUEの渕上 智信さん。
 
他にも色んな先輩方からたくさんのことを学ばさせていただいてます。
 
 
 
 
同世代のみんな、
僕たちが戦争経験者の方の話を実際に聞ける最後の世代だと言われています。
 
ぜひ実際に話を聞いてみてほしい。
虹の戦士である僕たちが、動かなければならない。
「愛」からのアクションを。
 
 
 
めちゃめちゃ長くなってしまいましたが、
70年目の日に、感じた思いを書き留めました。
 
ぜひこの文章が、シェアされてたくさんの方の目に入っていただけると嬉しいです。
 
 
最後まで読んでくださり、有難うございました!!

 





 

特攻に行く直前の当時18歳前後の隊員達。





 

相花信夫さんのお母さんに向けた遺書。







 

沖縄の平和式典に参加させていただきました。







戦争を経験したおじいおばあと。