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『あなたのその”イノチ”の重さの話をしよう。』



「あなたのそのイノチは、そんなもんじゃない。」

 










先日、ふとした時に感じたことなんです。

ふとした時に感じた、そのコトに心が感動し、共鳴して涙が止まらなくなったんです。








あなたのその”イノチの重さ”について。












先日、ある大切な友人がこんなことを言ってくれたんです。



「私、烈さんに出逢ってなかったら、今生きれてません。烈さんに出逢えて本当によかった。」





僕にとっては恐れ多いくらいの言葉で。

むしろその子に僕も助けられているから。



有難いことに、今では何人もの、何十人もの方がこう言ってくださっていて。




その中で、この友人の言葉がキッカケで感じたことがありました。




何故かは分かりませんがその時、
昔の自分がフラッシュバックしたんです。







ブログでこそ、僕の過去を綴ったことはありませんが




それなりに、しんどい時期がありました。










小学校・中学校といじめに遭い、

心配をかけたくないからと、親にも先生にも言い出せなかった。





野球を小学校から続けていたこともあり

高校では野球で入学し、1年からベンチ入りもさせてもらったものの、



その中での先輩からの暴力やイジメ。



乗り越えた矢先に、肩の靭帯を断裂して手術とリハビリの1年間。







そして、忘れもしない2年生の夏。







自分の責任で、1つ上の先輩たちの最後の夏を出場停止にしてしまったこと。


この夏のために3年間、辛い練習を乗り越えてきた先輩たちの夏を自分が潰してしまった。

試合で負けるならまだしも、暴力事件沙汰で出場停止になり、試合すら出来なかった。

大好きだった尊敬する先輩たちの夏を、3年間の努力を、自分が無駄にしてしまった。





先輩たち一人ひとりに土下座してまわった。

泣きながら地面に頭をこすりつけた。


こんなもので許されるなら、何時間でも何日でもしたかった。




先輩たちの夏を無駄にした自分が、のうのうとこれから野球なんてやっちゃいけない。



野球も辞める気だった。



その中で、最後に当時のキャプテンの方に土下座しに行った時に言われた。







「辞めるとかさせんぞ。逃げるな。俺らの仇とれるのは、お前しかおらんねんぞ」









その日から、自分のために野球をすることを辞めた。







絶対にこの人たちの分まで、勝ち上がってやる。





「先輩たちのために」野球をするようになった。









でも、そううまくはいかなかった。








1年間の肩のリハビリを終えて、

担当のドクターからも投球の許可が出て、1年ぶりに試合に出た日。






キャッチャーから、セカンドへ送球した瞬間に、






右肩の内側から



「ブチブチブチッ」






と断裂音が聞こえた。







試合後すぐに病院へ行き、レントゲンをとってみると







同じ靭帯がまた断裂していた。








僕が受けた手術は、
今までプロの肩も含め何千人もの方が、この手術を受けてきて、



誰一人として失敗例がない、99.9%の成功率という手術だった。






肩にボルトを埋め込む手術で
右肩に4箇所穴を開け、そこに最新型のボルトを埋め込んだ。



従来のボルトは、埋め込んだ後にまた取り出す必要があるものだが、

その最新型のボルトは、体内で勝手に溶けてくれるので取り出す必要がないとのことだった。








しかし、

初めてのケースでそのボルトが、骨と一緒に溶けてしまい





本来ならあるはずの骨が溶けてなくなり、
投球動作の時に、靭帯が伸びきらぬようストッパーの役割を果たす骨だったため、



靭帯が伸びきり、3本 肩の靭帯を断裂した。








復帰するには、また同じ手術と1年間のリハビリを受けないといけない。

しかし、それだと最後の大会に間に合わない。





つまり、もう野球ができない身体になってしまった。












どうしたらいいか分からなかった。


誰かのせいにできたら、どれだけ楽だっただろう。


手術がドクターの失敗なら、ドクターのせいにできたのに。




でも初めてのケースでドクターも不慮の事故だった。









誰も悪くなかった。




ただ、運が悪かった。





だからこそ、誰のせいにもできなかった。

この気持ちの捌け口がどこにもなかった。






自分の為に野球を続けていたとしたら、諦められたのかもしれない。

野球ができない身体になってしまったという理由でマネージャーをしていたかもしれない。









でも諦められなかった。







あの先輩たちの仇をとる為に野球をしていたから。






だからこそ、申し訳なさで押し殺されそうになった。












逃げたかった。





生きることから。








夜も眠れるはずがなく、
捌け口がなかった気持ちは、自分の中に溜め込むしかなかった。







その気持ちから逃げたくて

11階の自分の家から、マンションの屋上に登り、柵を越え、





塀ギリギリのところで立ち尽くした。








「ここから落ちたら、死ねるんだな」





「痛いって感じるヒマもないのかな」




「死んだ後どうなるんだろう」









落ちた後のことを、考えていた。







学校にも行けず

夜になっては眠れず



マンションの屋上の塀に座って、死んだ後のことを考える。






そんな日が何日も続いた。













それでも僕には


「死ぬ勇気」すら出なかった。






生きることがしんどくて、逃げ出したくて


死にたいと思っても、死ぬ勇気すら出ない。




そんな日が続いていた。










この後、命の恩人とも呼べるある女の子との出逢いが


僕に生きる理由を与えてくれた、話の続きはまた別の機会に。











長くなりましたが

僕にもこんな時期があったんです。




「生きることがしんどい」

「死にたい」


そう思う時期があったんです。







話は戻りますが、

大切な友人から「烈さんに出逢ってなかったら私、今生きれてない」って言葉を貰った時





こんな思い出がフラッシュバックしてきたんです。






同時にこう思ったんです。



「この言葉を、その時の自分が聴いたらびっくりするだろうな」
って。





そのときの自分からしたら信じられないだろうな、って。









そして、そのときの自分にこう言ってやりたかった。








「あのとき死のうとしたお前のその”イノチ”は、そんなもんじゃねえぞ」






って。














信じられないだろうけど




あのときに死のうとしたその”イノチ”が、今やたくさんの人を救ってるんだぞ




たくさんの人の、心の支えになれてるんだぞ




たくさんの人から「有難う」って言われる存在になってるんだぞ




って。



伝えたい。






あのときの僕と、同じ想いをしているオマエに。










オマエのその”イノチ”はそんなもんじゃないぞ、って。

オマエの”イノチの重さ”は、「そんなもん」じゃねえぞ、って。






オマエが思っている何倍も何十倍も何百倍も何千倍も何万倍も








その”イノチ”は重いんだぞ、って。







これから、何人もの何十人もの何百人もの”イノチ”を

背負うかもしれないんだぞ、って。







伝えてやりたい。








勘違いしないでほしい。



あなたの”イノチ”の重さは、そんなもんじゃない。







「そんなもん」じゃないんです。










今生きるのがしんどいやつ

死にたいって思ってるやつ

生から逃げ出したいやつ

自分なんかって思ってるやつ



大丈夫。





ひとりじゃないぞ。








ひとりじゃないから


連絡してきてほしい。




死ぬ勇気を出すくらいなら
僕に一言連絡する勇気を、出してみてほしい。







絶ッッッッッッッ対に


その”イノチ” 諦めさせないから。










ひとりでも多くの人に、届いてほしい。











「あなたの”そのイノチ”は、そんなもんじゃない。」