『電車でおばあちゃんが立っています。あなたならどうする?』
『電車でおばあちゃんが席に座れず立っています。あなたならどうする?』
『妊婦さんが階段で重そうにベビーカーを持ち上げています。あなたならどうする?』
『歩いていると目の前に財布が落ちていました。あなたならどうする?』
『雨の日に傘を忘れた人がいます。あなたならどうする?』
『小さい子供がお母さんとはぐれて迷子になっています。あなたならどうする?』
『目の前で人が急に倒れました。あなたならどうする?』
『家を失くして悲しんでいる人がいます。あなたならどうする?』
『すぐ目の前に、大切な家族を失くした方がいます。あなたならどうする?』
『同じ日本で、生活するための職を失った方がいます。あなたならどうする?』
『仕切りだけがある状態の体育館に、雨や土砂崩れに怯えて避難している人がいます。
あなたならどうする?』
『大切な家を、家族を、職を失ってもなお、立ち上がろうとする人達がいます。
あなたならどうする?』
電車でおばあちゃんが座れずに立っていたら
妊婦さんがベビーカーを持ちながら階段を上っていたら
歩いていると目の前に財布が落ちていたら
雨の日に傘を失くして濡れている人がいたら
小さい子供がお母さんとはぐれて迷子になっていたら
目の前で急に人が倒れたら
ずっと過ごしてきた家を失くして悲しんでいる人がいたら
目の前に、大切な家族を失くした人がいたら
家族や恋人を養い、生活していく為の職を失った人がいたら
仕切りだけがある状態の体育館に避難している人がいたら
大切な家を、家族を、職を失いなお、悲しみを乗り越え立ち上がろうとする人がいたら
『あなたなら、どうする?』
困っている人がいたら、助ける。
席を譲る、
荷物を持ってあげる、
財布を拾って届ける、
困っている人を、助ける。
”ボランティア”って、そんなモノ。その程度のモノ。
今現在、熊本で困っている人たちがいます。
家がぐちゃぐちゃに崩れてしまった方、
大切な家族を失った方、
職を失った方。
死者が何名だとか、
何兆円の損害だとか書かれていますが、”本質”はそこじゃありません。
ビートたけしさんが東北の震災の時、こんなコメントを残しています。
常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは
「想像力」じゃないかって思う。今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。
じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだ
よ。
大切な家を失った”1人”が
大切な家族を失った”1人”が
大切な職を失った”1人”が
そして、そんな大切な家を、家族を、職を失ってもなお
立ち上がろうとする”1人”がいます。
そしてここにも、この記事を読んだ”1人”が、”あなた”がいます。
そんなあなたに、改めて聴きます。
『あなたは、この記事を読みました。』
『あなたなら、どうする?』